ダーウィン後記

ダーウィン空港から、メルボルンに向けて出発する前、空港内のカフェで軽食をつまんでおりました。飲食店がそこぐらいしか開いていなかったので、まあまあ混雑しています。

 

私たちの斜め後ろには、サンタクロースのように白いひげを蓄えた、細身の白人男性がソファにゆったり座ってビールを飲んでいました。見た目、仙人みたいなんですが、Tシャツ短パンで、ちょっと不思議な雰囲気のファンキーなおじいちゃん。

 

おもむろに、はなこが、こそこそ、と耳打ちしてくる。

「ママ、アボリジニがいる」

どうも、その男性を指して、はなこは「アボリジニの人だ」と思ったようでした。

 

ちょっとこれはまずい。

 

確かに、アコモデーションの近くにたくさん先住民の人はいて、パートナーは物乞いもされたし、夫婦の間で、「メルボルンとはちょっと違うね」とか「たいてい何もしてこないとは思うけど、気を付けよう」なんて話を大っぴらにしてたもんだから。一番年若いはなこは、「挙動不審で見た目が怪しい人は、アボリジニ」と子どもなりに解釈してしまった様子。

 

「まず、そんな風に、誰かを指して、ナニナニ人がいる、と言ってはいけないよ。誰でも、ここにいる権利がある。アボリジニの人は、私たちとは様子が違うように見えると思うけど、生き方が私たちとは違うだけなんだよ」

 

オーストラリアは、イギリスの流刑地としてその歴史をスタートしました。

 

先住民は、世界最古の文化の一つ、と言われるぐらい古い時代からオーストラリア大陸に住んでいたそうです(約5万年前)。ただ、700にもおよぶ部族がバラバラに過ごしていたために、1700年代後半に入植してきた入植者に集団で対抗することもなく、また、武器などのテクノロジーの面でもかなわず、蹂躙されてしまいます。

 

この蹂躙と殺戮の歴史、調べると本当に吐き気を催すほどえげつない。ひどい時代は、スポーツハンティングの対象となり、法律上も「先住民を殺害してOK」になっていたのだそう。鹿狩りで首から上の剥製を飾るように、人間で同じことをしていたとか。

 

その上、教育・文化・土地所有のルールなども、後からきた白人がすべてを決めて、それを先住民に強いてきたのは、否定のしようのない事実。それこそ現在のロシア真っ青の民族浄化・同化政策が取られたようです。その後、ようよう彼らにオーストラリア市民権が認められたのは、なんと1967年!!! 20世紀も半ばを過ぎてますがな。

 

白人たちの、その原動力はなんだったのか。もちろん、異なるものへの排除の気持ち、はあったと思いますが、文化的背景も無視できないものだったのではないかと、考えています。

 

キリスト教では個人の信仰だけを求める宗教ではなく、公な正義と平和、そして豊かな命と生活をもたらすのです。個人の信仰は大切ですが、同時に、キリスト教は全世界へ神のよい知らせ(福音)を伝える必要があると教えています。」

チャプレンより聖書のことば | 立教新座中学校・高等学校

 

先住民は、これとは全く異なる文化的思想で生きてきたことは、想像に難くありません。たとえば、健康ひとつとっても、先住民のことばに、西洋でいう「健康」を意味するものはなく、「Life is health is life」が最も近い表現だろうと言われています。人生のいまある状態が健康。って感じですかね…

 

より豊かな社会、神の正義に満ちた社会を作ろうとする拡大路線の民族と、自然のあるがままを受け入れ、人生のあるがままを受け入れる民族…。相容れないハズです。

 

一方で、現在に目を向けると、先住民の人の多くのありようは、私たちの目からすると、「怠惰と混乱」に満ちているように見えることも多くあります。実際、ドラッグ・酒に飲まれている人も多く、昼間っから怪しい目つきの人が街中をフラフラしているのはたくさん見かけました。私たちがアジア人だからかどうかわかりませんが、大声でからまれることも何回かあった。もちろん、普通に働いていらっしゃる方もいますが、私たちがダーウィンでそれなりに、恐怖を感じた体験も、事実としてあります。

 

また、ありとあらゆる申請書には、必ず「あなたはアボリジナルもしくはトーレス諸島の出身ですか」という質問項目があり、ああ、彼らは配慮されてるんだな~というのは、外国人である私たちですら、なんとなくわかります。配慮を、優遇と感じる人もいるでしょう。

 

いくら歴史が残虐だったからって、今は西洋の価値観に合わせて生きないと、まともな生活ができないんだから、ええ加減、努力して自立しろよ! 今のままなら見下されて当然だ!税金泥棒だ!

 っていう気持ちもわかる。

 

努力すれば報われるっていうけど、実際のところ報われる確率低いじゃん!今現在も進行形で差別的扱いなのに! 

 っていう現状も、まざまざとある。

 

人間の業の深さを、このハッピーで明るい国で、垣間見た気がします。私たちの幸せは、誰かの犠牲の上にあるんだと思っといたほうがいいのかもしれない。子どもたちにあっては、「世界にはいろんな人がいて、違う考え方で生きているから、自分たちの価値観だけでジャッジしてはいけない」し、そして「その考え方の差によって、危ない目にあうこともあるから、気をつけろ」っていうところから始めるのがいいのかもなあ…。

 

性善説だけでも性悪説だけでも、げに人の世は生きづらし。

 

そして、オーストラリア、人権先進国…ではあるのですが、そうとばかりもいい切れない。「ええっ!?」っていうような私権侵害的な政策・判断を打ってくることもあります。コロナ禍でのロックダウン、おとなにおけるワクチン推進などが典型的でしたが。PR(永住権)を持たないカップルに障がい者の子どもが生まれたら、帰国せえとかね。(日本も、障がい者対応では褒められた国ではないと思っていますが、それは置いとく)

 

根っこの深さというか、建国の経緯は、ずーーーーっと影響ありますね…。「性格」を変えるのがむずかしいのは、人間だけじゃないってことかな。。

 

ja.wikipedia.org