Mellyにとって休職とは何だったのか

いよいよ、豪州を離れる日まで、あと1カ月を切りました。

寂しさと、新しい生活に対する不安と楽しみ。日本の寿司・ラーメン・焼き肉を食べたいという単純な欲求(笑)。いろいろな感情があります。

 

Literally, I'm having mixed feelings.

 

Mellyの一人語り

Mellyは、ド田舎の、比較的封建的な家に生まれました。

本家と分家、男と女、きょうだいの生まれ順で、それぞれステレオタイプな役割があるような場所です。「女の子は、一生懸命勉強する必要なし」と言われる場所。

 

そんな環境で、私は外の世界に出て、自由に、そして存分に自分の力を試したいと思っていました。それを自分に誓ったのが中学生のときです。

 

時代的にも、環境的にも、私に実行可能な「外の世界に出る現実的な手段」は、大学受験で難関大学に受かることだけでした。中途半端な成績だと、地元の国立大学(地元民からすると、東大・京大級の価値があった)に間違いなく行かされる。要は、誰も文句言えない学校に受かってしまえば、親も私を外に出すだろう、と。

 

今の東京近郊における課金ゲームばりの受験戦争と、かつての(もしかしたら今もかもしれない)田舎の受験戦争は、まったく様相が異なります。そこそこの地元の公立高校に入って、シコシコ勉強するだけ。自分の意思がしっかりしていれば、比較的ローコストに勉強できました。都会の私立ほどノウハウがないので、効率は悪かったと思いますが。結果が伴えば、自由になれると思うと、踏ん張りがきいた。

 

途中、「なんでこんなに勉強してんだっけ…」と人生に迷い、数か月ほど、遅刻の常習犯になったために(学校に行かず、田んぼの真ん中で人生を考えていた(笑))、第一志望の大学にはあえなく不合格。第二志望の大学に合格しました。

 

親は何とか新幹線通学させようとしてきましたが、実験など時間のかかる授業もあるから、と適当に説得(笑)。

 

私は、自分の力で、人生の第一歩を切り開いたんだ…!!

そう思った出来事でした。

 

切り開いたはずの人生に、飲み込まれる

そこからは、大なり小なりいろいろありましたけど、そこそこ有名な企業に入り、転職もし、成果も上げ、結婚し、子どもを産み…。私なりに苦しみながら来ましたけれど、傍目から見たら順調そのものだったと思います。

 

私はいつも、人生を自分で切り開いてきた開拓者のような気分でいたし、そういう苦しみが好きな人間だと思っていたんですが。人生の様々なパラメータを上げていく爽快感とか。でも、いつの間にか増えた守るものの多さ、サラリーマン社会独特の「〇歳になったらだいたいアガリがみえる」感覚に、また、息苦しさを感じ始めていました。

 

切り開いたはずの人生に、飲み込まれていたんだと思うんですよね。

また、何かに、人生を奪われていた。

なまじ受験でそこそこ上手くいき、就活もそこそこ結果を残し、会社でもそこそこ評価がよかったがゆえに、人生の成功を、他者の指標に預けるようになっていたんですね。

 

Mellyにとって休職とは何だったのか

切り開いてきたからこそ、いままでの自分の評価とか、他者からの見え方、そしてキャリア、なにもかも傷つけたくなかったのだと思います。

 

それで、豪州で何をしようかとさんざん暴れまくり(笑)、そのプロセスで、本当にいろいろな方とお話をし。

 

子どもに向き合わされ、彼らの成長に、自分の親としてのありようを振り返りさせられ。

 

オーストラリアという国の在り方、文化、自然、ここで出会った人たちとの、価値観をゆさぶられる時間。

 

その中で、

  • 自分がこれからの人生でなしえたいことが何なのか
  • どういう人間でありたいのか
  • 親として、パートナーとして、どうありたいのか

ということが、時間をかけて、整理されていったと思います。

仕事も家族も自分も全部ひっくるめた、Mellyらしい人生観を構築した2年半。

新しいコンパスを手にして、また、人生が自分の手に帰ってきました。わかりやすいパラメーターを指標にした成長の段階から、成熟のステージへ。移行期だったと思います。

 

これは、自分が駐在者当人であったら、絶対になかった変化であり、経験であったと確信を持っています。

 

駐在ではできない体験をする

駐在者当人は、仕事に追われがちですし、よほど本人にその気がない限りは、仕事以外でのローカルコミュニティとの交流は、希薄になりがちです。それでも、駐在者本人も、価値観が変わるような体験はたくさんあると思います。ただ、一方で大なり小なり会社には守られている側面はあります(会社によって厳しさは差がありますが)。

 

では家族はどうか。ローカルに入っていかざるをえない、あるいは、どうにかサバイブしないといけない、駐在家族の経験値は、並大抵じゃないと思います。駐在当人がしえないことを、しているんです。仕事をするのはもちろん大変です。でも、「普通に生活」するのは、全く簡単ではない。文化も仕組みも違う中で、イチから生活基盤を整えるというのは、並のことでないのです。

 

そういう意味で、私が休職した意味はあったと、今なら言えます。

めっちゃ簡単に言うと、人生修行ですね(笑)。

 

安泰だと思ったレールから外れてみて、異なるものに浸ってみる。足掻いてみる。

うんざりするくらい、あれこれ考えてみる。修行だよな~。

 

修業したうえで、元居た場所に戻れる。これが休職の最大のメリットです。

 

キャリア中断にさらされている人へ

キャリアの中断を余儀なくされている方に言いたいです。

キャリア上は中断かもしれない、でもそれは人生の中断ではないよ、と。

存分に足掻き、苦しもう。あなたが感じているその気持ちには、価値がある。そして、いつか光は見える、だって、そうやって仕事してきたんだから って。

 

人生100年時代、「仕事のキャリア」だけで考えていると、行き(息)詰まると痛感しました。楽に生きるためにも、自分なりの「哲学」であり、「信念」があったほうがいい気がする。もちろん、そんなものなくても軽やかに生きていける人はいいのですが、Mellyはどうにも不器用で。

 

大切にしないといけないのって、仕事だけでも、家族だけでも、自分だけでも、パートナーだけでもないですからね。そういうことに気づけたことが、私のこの2年半の休職の意味です。

 

だからこそ、人事部に言いたい

うちの会社の人事部にではなくて、一般論です(笑)!

 

日本社会は、ハイコンテクスト。さらに会社組織は、似たようなバックグラウンドの人がどうしても集まってしまいます。もちろん、今は昔よりずっとダイバーシティがあると思いますけど、それでも足りないのは明白です。

 

女性管理職比率が…って言うのは、国の政策としては合ってると思います。

とにかく、いろんな国籍・ジェンダー・学歴の人を、採用しようって言うのもいいと思います。でも、日本社会自体が、いまだ高い同調性・協調性を求める社会であるのも、事実です。アウトサイダー枠で採用された人は息苦しくて、短期で出ていく。悪循環。

 

ひとつの提案ですが、見た目のダイバーシティ(人種、国籍、ジェンダー、学歴etc)にこだわらず、経験のダイバーシティで人を見てみてはどうか、と思います。人間、やはり経験したことのないことは想像しづらいですし、ましてやハイコンテクストの日本人社会では、経験が多様である、という時点で極めて貴重です(エリート集団ほど同質になりがち…)。一人の人に経験値が集積されている必要はなく、個々の人間の背景がちょっとずつ違うのでもいいと思うんですよね。それだけでも、ずいぶん変わる気がするけれどもなあ。

 

そもそも、(自分で言っといてなんだけど)キャリアの中断なんて言葉が失礼極まりない。

人生を違う角度から見る、その経験値こそ、失った給与分の価値以上のものがあるというものです。