帰国辞令を受け止める 

前の記事にさらりと書きましたが、駐在者本人に帰国辞令が出ました

ついに、というより、思ったより1年は早かったので、私もパートナーも、動転したし、動揺したというのが率直なところです。

 

駐在の宿命ですが、「いつか帰らねばならない」。

(もしくは、「いつか別の場所に行かないといけない」。一方で、当地を気に入って、永住権を取られる方もいますけれども)

 

返す返すも、メルボルンは素晴らしい土地で、素晴らしい風土、環境、友人、食べ物に恵まれて、世界一住みやすい街と評されただけはあります。何をおいても、人の優しさが、私たち家族にしみこみました。

 

私もパートナーも、英語はバリバリの第二言語で、おとなになってから本格的にやり始めたため、今でも、かなりしんどいです。でも、そうであっても、優しく親しく接してくれるオージーや、移民の人々。そして、同志たる日本人。

 

メルボルンの風土から離れることも苦痛でしたが、何より知りえた友人たちと共有できる時間が、この先わずかしかないのだと思うと、それがとてもつらかった。

ましてや、子どもたちの心温まる友人関係や、そこから引きはがされる小さな身を思うと、到底納得が難しかったです。いくら彼らがレジリエンスにあふれていたとしても。

 

しかも、辞令から、帰国までわずか1か月半。さよならも十分に言えそうもない。

 

最初の2週間は、夫婦とも不眠症に陥りました。そうはいっても、荷造りしないと、と思って日中に家の掃除をするわけですが、涙が自然に出てきたり。軽い鬱状態でした。

 

そんな中で、自分たちの衝撃の原因は何か、悔いは何かを考えたうえで、やりたいことのフィージビリティチェックを行い、家族としての帰国スケジュールを再考させてもらいました。もちろん、駐在者本人の辞令内容が変わるわけではないのですが。

 

結論:本人は辞令の通りの日程で帰国。母子は、子どもの学校のキリのよい日程で帰国(6月末)

 

それから、子どもに6月末に帰国する旨を伝えたのですが。

 

想定以上に、たろうが衝撃を受けております。話した当夜は上手く眠れなかったそうだし、日本に帰る不安や、豪州に対する恋しさなどを、ぽろ、ぽろ、と話してきます。

 

「日本に帰るんだから、いらないもの捨てないとね」と、やるせなく古いノートやプリントを捨てたり、普段のたろうからしたら信じられない行動です(何かとため込みhoarder型(笑))。

 

ビッグニュースがあると、すぐ、「みんな、聞いてよー!」ってすぐ大騒ぎするタイプなのに、帰国の話は、お友だちにほとんどできていないようです。

 

離れる寂しさや、ショックさを感じられるくらいにはおとなになったんだな、と思う一方で、ここはしっかり時間をかけて、向き合っていく必要があるな、と感じています。おとなは、そうはいっても現実があるし、数々の人生経験があるから、どこかで折り合っていけるんだけど、子どもは、いまこの経験自体が、とてつもない人生の岐路の一つなんだろうなと思う。

 

帰国辞令が出たら、一刻も早く復職しよう、と思っていましたが、今ここで子どもにしっかり寄り添わないと、必ず後悔する。それに、ここで親子で未来に対する明るいプランを立てることができたら、きっとそれは、人生の力強い推進力になる、とも信じています。

 

帰国辞令を受け止める、簡単なことではないです。

ただ、これ以上ない、チャンスでもあります。

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