子どもに可能性を。その、原動力。

オーストラリア、移民の国ですので、移民一世、二世 or moreのひととはたくさんお会いします。

 

その中でも、最も教育熱心だなあと感じるのは、移民一世

やはり、自分が苦労してきただけあって、子ども(二世)に対する教育熱は尋常ではないです。日本で今風に言うと、「そ、それって教育虐待じゃないの??」っていうぐらい。

 

オーストラリアの教育水準自体は、世界的に見るとそこまで低くはないですが、日本と比べると、概ね低い。OECDによる学習到達度調査(PISA: Program for international student assessment)を見ていただくと、特に数学的・科学的リテラシーでの差が大きい。意外だったのは、読解力でほとんど差がない! これはビックリ。

 

日本人学校から、現地校に転向すると、算数の時間は天才扱いされるとか聞いたことあるけど、ありそうな話だな、と思う。とにかく、カフェとかお店とかでの、計算間違いの多いことったら。数か月バイトすれば、「平均的な4人家族が頼むランチのだいたいの総額」とか、肌感でわかりそうなもんなのに、そういう数的感覚が欠如しているから、レジ打ち間違いしても気づかない。社内資料でも数字のケタが違うとかあるらしく、たまにパートナーが頭を抱えている(笑)。 これは、数的訓練の問題だと思う。

 

日本人的感覚からすると、現地の公立学校のユルさったらないです。ただ、できる子(やりたい子)はとことんできる(やる)。できる子向けの公立セレクティブスクールもあるし、できる子には奨学金が付くし、できる子同士の競争の中で、将来のエリートが醸成されて行っているように見えます。

 

個人的には、政治家などは、日本の政治家に比べたらよほどリーダーシップに富み、優秀だと思います。もちろん変な人もおるけど。つまり、社会的の構成として、エリートとそれ以外で、分かれている、とも言えます。

 

一方で、オーストラリアは労働者権利がとても強い国なので、最低賃金が高く、例えばドカタ仕事の年収もかなり高い。勉強にむいてなくても、体が健康であれば、ちゃんと稼げるのが、世襲階級社会を英国ほど深刻化させてない一因のひとつかなと思っていたりします。景気もずっといいしね。また、リカレント教育も浸透しているので、社会人になってから、学校に戻って必要なcertificationを取ることで、年収アップ・キャリアチェンジを目指す、というルートも一般的。

 

さて、移民一世は、様々な思いを抱えて、移住してきます。しかし、裏に社会的背景、政治的背景が絡むと、その真剣度は、自分の生殺与奪を永住権に賭けるぐらいの真剣度になります。したがって、中華系の方(とりわけ香港、台湾)、貧しい国の方で、苦労の末に永住権を取得した方のなかには、とてつもないエネルギーで二世に心血を注ぐ方もいます。ハングリー精神なんて、平和な言葉で表現できない何か。Starvation精神? Dead or Alive精神? とにかく、「退路をたどったら、"自由な生"は無くなるんだ」という思いを抱えて生きてきた人の覚悟は、半端ない。

 

幼稚園児ぐらいの子どもに、五か国語を教え込む。

プライマリースクールから、私立に通わせる(年100万程度だと安いほうで、高いところは年300万近い。もしかしてもっとするかも)。

習い事を10個同時にさせる。

 

日本も、昨今は、教育熱がかつてよりもさらに(一部で)高まっていると聞いていますが、そのもっとも上澄みの人を連れてきても、負けず劣らずの世界が、この国にもあります。とはいえ、受験戦争でいえば、中国・韓国がド本場だもんな。日本はまだかわいいものか?

 

二世は、反発しないんだろうか? と思ったりもするんだけど。親がいかに苦労してきたかを知ってたら、素直に受け入れるものなのかなあ…。そうはいっても、いろいろやらせてみて、一番向いてるものに注力していく人が多いので、日本ほど勉強(or運動の特定分野?)ができないとダメ!的な悲壮感はないですけどね。