日本人づきあい、実際のところ

渡航前に、実務的な部分以外で最も恐れていたのは、これかもしれません。

 

保護者同士、日本人同士のつきあい。

 

そもそも、私自身、人付き合いがそんなになくても平気なタイプ。仕事や私生活が忙しかったのもありますけど。保育園で知り合ったお母さん・お父さんのコミュニティも、私は相当にサッパリしたお付き合いしかしていませんでした。

たろうを日本人学校に入れると決めたので、日本人コミュニティとのつながりはそれなりにできるはず。それが、いわゆる駐「妻」コミュニティの話をネット検索したり、前任者や経験者に聞くと、恐ろしい話がザクザク出てくる。なんという世界…!!!と、おののいていました。

 

 

実際のところ

 

幸いなことに、私の住んでいるところでは、ごく普通です(かつては、それなりにいろいろあったらしい)。おそらくですが、永住家庭・駐在家庭がバランスよく混在していることと、また、駐在配偶者自体のバックグラウンドも、一昔前に比べたらずいぶん多様化したからではないか、と推測しています。コミュニティに多様性が少ないと、先鋭化しがちだと思うのですよ…。

 

どんなお付き合いの仕方を誰としようとも、自分が意図的に誰かを排斥したり、あしざまに言ったりしないかぎりは、そして自分が無理をしなければ、トラブルは無いんじゃないかと思ってます。

 

そう、自分が無理をしないというのは大事。やはり、子どもが日中学校に行くと、保護者の時間にかなり余裕ができます。キャッチアップのお誘いがとても多くなることもあるので、適度に断ることも大事だと思ってます。

 

最初の一歩

 

で、いまはこんな感じで言えますけど、「現代の伏魔殿かもしれない」とビビりまくっていた当初。しかも、母親が大勢集まっていて、延々何時間もしゃべっている姿自体が、当事者として初めて経験する光景で、とても怖かったことを覚えています。「未知だから怖い」という意味で。

ローカル線が、1時間に1-2本しか来ないド田舎から、進学のために都会に行って、カルチャーショックで「死ぬかも」と思った18歳の春を少し思い出した。

 

たろうのクラスメイトの保護者集団にすら、声をかけられず、常に数十メートル離れたところで、息をひそめていた私。相当、怪しかったと思う。

 

そんな感じで数週間過ごしていると、優しい方が、ひとり、ふたりとお声がけくださるようになり、それで自分もようやく少しずつ殻を破っていった気がします。転勤慣れされてる方なんかは、本当に自然に、すーっとコミュニティに入っていかれるので、こういうのも一種のスキルだなあと思ったり。と同時に、会社っていうのが同質性の高い場所なんだな、と改めて認識しました。少なくともコンテキストは共有しているし、知らない人でももっと自然にふるまっていたもの。

 

「チキンなくせに、コミュニティに全く入れないと身の置き場がなくて挙動不審になる」という拗らせタイプの私はこんな感じで始まりました。

今は「友人」と呼べる人と、プレイデートしたり、たまにお茶をしたり、時には家族ぐるみでイベントしたり。友人とは、どちらかが困るようなことがあれば進んで助け合うこともあるし。日本にいたときには持てなかった、ハートウォーミングだけれども依存するでもない、素敵な人間関係を持てていると思っています。

 

友人たちには本当に感謝していて、私が資格試験を受けるときには、約束していないのにわざわざ子どもを遊びに連れ出してくれたり(在勤中の夫、大助かり)。違う視点で助言くれたり、ただお互い愚痴ったり、貴重な存在です。ロックダウン、という苛烈な経験を共有したせいもあるかもしれないけれど。

 

私はこんなですが、人によって、他人とのお付き合いの仕方は全く異なります。人との距離感は人それぞれです。今いる場所は、それで何か言う人もいないし(私がなにも気づいていない可能性も否定はしないけれど(笑)、ギスギス感やプレッシャーを感じないのは事実)。それをもって、ごく普通、と表現しています。

 

でも、世の中こういう平和な場所だけでもなさそうで…。そういうときは、「悪意のない変人」だと思われといたほうが楽だとは思う…。あの人ちょっと変わってるからね~、しょうがないよね~、みたいな。あとはもう、「鈍感力」ですかね…。

私は、自分がよほど致命的に間違ったことしたならともかく、そうでなくて危害を加えてくるような人がいたら、斬って捨ててくれる、と考えるタイプで、事実その覚悟も少ししてたりしました、渡豪前。会社勤めで鍛えられました。サラリーマン生活おそるべし

ハズレにぶち当たったときは、見切って違う世界にいったほうがいいとは思う。

 

日本人のつながりは重要か?

 

少なくとも、駐在で来る家庭は、少しは持っておいたほうがいい気がします。駐在で来る=在外年数は限られることが多いので、時間が重要なリソースになります。多くのことを効率よく知ることが、すなわち家族の選択肢の多さに直結します。「何かで困ったことがある人の経験知」って、本当に価値があります。

例えば、近所に評判のいいクリニックや歯医者があるかどうか、習い事でコレやりたかったらどこのスクールがおすすめか、デイケア情報、夜間に熱出したらどうするか、納豆が買えるアジアンストアはどこか、どうしてもあずきバーが食べたい等々、、、こういう細かい情報を、口コミ含めて、一から十まで全部自分で調べるのって、大変なので。

 

ただ、「日本人による日本人のための情報」って、心地がいいゆえに、現地にあまた存在するはずの選択肢を探す努力を、けちってしまうこともある気がします。その労力をあまりけちると、「海外にいるのに、海外生活っぽくない」「どこに行っても、知り合いに会ってしまう」事態に陥りやすくなるので、バランスかなあと思う今日この頃。